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ベジタリアン分類

皆さん、こんにちは($・・)/~~~

なんだか巷でこんな話題が世間を賑わせているようなので、若造も便乗して記事を書いてみたいと思います。
「スポーツ報知 1月25日(土)7時6分配信」

ファミリーマートは24日、28日に発売予定の「ファミマプレミアム黒毛和牛入り ハンバーグ弁当~フォアグラパテ添え」(690円)の発売を中止すると発表した。

 一部消費者から「フォアグラは残酷な食べ物だ」との指摘が22件あったため。同社は「日本ではフォアグラは一般的な食材だが、諸外国におけるフォアグラに対する見解の違い、生産過程などを踏まえ、総合的に判断し、発売を見合わせた。不快に思われた方には申し訳ない」と謝罪した。

 同社によると、10日に高品質志向の消費者向けにフォアグラやトリュフといった高級食材を使った弁当などを発表。全国約1万200店舗で発売する予定だった。だが、11日以降、一部消費者からフォアグラを食材とすることに疑問を呈する意見がメールなどで寄せられたという。

 フォアグラはガチョウやカモなどに大量のエサを食べさせ、脂肪肝の状態にした肝臓で、フランスが最大の生産国。ただ、動物愛護団体などは人工的にエサを大量に与える行為が「動物虐待にあたる」と指摘。一部の国のスーパーやレストランでは、フォアグラの取り扱いを中止する動きも出ている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140125-00000038-sph-soci
http://www.family.co.jp/company/news_releases/2014/140124_01.pdf

どうやら、ファミリーマートで発売が予定されていた「フォアグラ」を使った弁当が、発売中止になったようです。その理由というのも、動物愛護団体が「フォアグラは残酷な方法によって製造されている」として抗議したのが原因の模様。

そうそう、フォアグラって脂肪肝にしたガチョウの肝臓なわけですけど、どうやって作られているか知ってます?? 結構、残酷な方法で作られているのですよ(-_-;)

ガチョウを脂肪肝にしなければならないので、無理やりエサを口に流し込むのですよ。しかも、運動をしてもらっては困るので、身動きが取れないほど狭いケージに押し込められています。

↓動物愛護団体が作成した動画は刺激的過ぎたので・・・


さて、この騒動を踏まえて、今回は「動物を食べること」について考えてみたいと思います。最初に結論を申し上げますと、私は「動物を殺し利用するのは悪ではない」と考えています。

世の中には「ベジタリアン」という人たちがいます。動物由来の食物は避けて、植物由来のものを優先的に食べる人たちのことです。いやはや、若造も不勉強なもので、ベジタリアンにも色々分類があるようなのです。最初に貼った画像をご参照ください。

どうやら、果物しか食べないフルータリアンまでいるそうで、体の健康は維持できるのかと疑問に思ってしまいますね(^_^;)

そもそも、なぜ彼らが動物性の食物を食べないかと言うと、端的に表現すると「動物が可哀そうだから」です。人間の私利私欲で動物を殺傷し、その肉を食うのは間違っていると彼らは考えているわけですね。

なるほど、確かに人間は動物を家畜化し、その肉あるいは乳、あるいは毛皮などなど様々な恩恵を受けています。また、自然界の動物を銃殺し、上記の恩恵を得ることもあります。残酷だと考える人がいるのも理解は出来ます。

ここで、少々見方を変えまして、「人間と自然の関係」について考えてみたいと思います。私はベジタリアンの方々の考えの根底には「キリスト教的自然観」があるのだと考えています。

キリスト教的自然観…自然は人間のために神が創造したものであり、人間はその自然を支配するものだという考え方。旧約聖書の創世記にその記述が見られる。

キリスト教的自然観では、「自然」は「人間」よりも格下の存在であります。皆さん、考えてみてください。我々が同情を感じるのは常に格下である存在に対してなのですよ。金持ちが貧乏人を「金を持っていない」と憐れむことがあるかもしれませんが、貧乏人が金持ちを「金を持っている」と憐れむことはありません。

「いやいや、金持ちが金で自滅することもあるから、可哀そうに思うこともある」という人もいるかもしれませんが、それは「金を破滅をもたらしうる存在」だと考え、「破滅をもたらす金をたくさん持っている金持ち」をやはり格下だと考えているからに他なりません。何かに対して同情を感じるというのは、優越感を感じていることと表裏一体なのです。

一方で、日本人が元々持っていたと言われるアミニズム的自然観は異なります。
※アミニズム=自然崇拝。日本人は昔から自然を畏敬し、祭ってきた。

アミニズム的自然観…人間は自然と共生しており、人間という存在は自然の一要素でしかない。

アミニズム的自然観によりますと、人間が動物を食べるのは、ライオンが動物を捕食するのと何も変わらないわけです。他の動物を食べなければ生きられないのだから、食べて何が悪いの??という感じです。

私はどちらの考えが優れているとか言いたいわけではありません。結局は、「動物を利用する」ことを「悪」とするかどうかは価値観の一つに過ぎず、またどちらが絶対的に正しいということはないと言いたいわけです。

そもそも、自然観だけではないですよ。

例えば、よくやってる動物もののテレビ番組を見ているとします。その番組内で「動物の親子」特集ってあるじゃないですか?? その中で、ライオンがシマウマを狩りで捕らえました!!

その特集が「シマウマの親子」特集だったら、こうなりますよね↓
「ああ、シマウマの子供が!!」「可哀そう・・・」「ライオンうぜ~な!!」

その特集が「ライオンの親子」特集だったら、こうです↓
「やった!!捕まえた!!」「子供たちが飢えなくて済むね!!」「ライオン足はえー!!」

どちらの視点に立つかによって感想がコロコロ変わります。そんだけ人間が感じる「憐れみ」なんてのは曖昧なものだということです。

もう一度、言っておきますが、私は別にベジタリアンの人たちを否定しているわけじゃないですよ。その考えは尊重しますが、絶対視して他の誰かに押し付けている現状が許せないだけです。

菜食主義の究極系、フルータリアンがなぜ果物だけを食べるかと言いますと、彼ら曰く「果物は植物が他の動物に食べられるために作っているから食べてよい」そうです。この考えを聞いて私がすかさず思ったのは、「いやいや、果物は子孫を増やすことが目的で、食べられるのはその過程だろ。フルータリアンが果物を食べても、植物の子孫は増えないから、結局は植物の意思を反映できていないではないか」でした。

結局はどんな考え方も否定することは出来るわけです。お互いの考えを頭ごなしに否定し合うのではなくて、尊重し合うしか共存の道はないですよ。誰かに自分の考えを無理強いしても、逆に反発に遭うだけです。シーシェ○ード!!お前のことだよ!!(゜_゜>)

実際に、今回のファミリーマートの決定には多くの反論が出ているそうで、ネット上では動物愛護団体への異論が多く見受けられます。ちなみに私の考えは、「生きることは他の生き物を犠牲にすることだ」ですので、肉も魚も野菜も食べます。


さて、今回はこんな感じでどうでしょう(笑)
あれですよ、このブログの記事は浅学非才な若造の個人的な意見で構成されていますので、ベジタリアンの方は怒らないでね(^_^;)

ではではノシ
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少佐

諸君 私は戦争(映画)が好きだ
諸君 私は戦争(映画)が好きだ
諸君 私は戦争(映画)が大好きだ

殲滅戦が好きだ
電撃戦が好きだ
打撃戦が好きだ
防衛戦が好きだ
包囲戦が好きだ
突破戦が好きだ
退却戦が好きだ
掃討戦が好きだ
撤退戦が好きだ

平原で 街道で
塹壕で 草原で
凍土で 砂漠で
海上で 空中で
泥中で 湿原で

この地上で行われるありとあらゆる戦争行動(を描いた映画)が大好きだ

戦列をならべた砲兵の一斉発射が轟音と共に敵陣を吹き飛ばすのが好きだ
空中高く放り上げられた敵兵が効力射でばらばらになった時など心がおどる
                 
戦車兵の操るティーゲルの88mmが敵戦車を撃破するのが好きだ
悲鳴を上げて燃えさかる戦車から飛び出してきた敵兵をMGでなぎ倒した時など胸がすくような気持ちだった

銃剣先をそろえた歩兵の横隊が敵の戦列を蹂躙するのが好きだ
恐慌状態の新兵が既に息絶えた敵兵を何度も何度も刺突している様など感動すら覚える

敗北主義の逃亡兵達を街灯上に吊るし上げていく様などはもうたまらない
泣き叫ぶ捕虜達が私の振り下ろした手の平とともに金切り声を上げるシュマイザーにばたばたと薙ぎ倒されるのも最高だ
                                       
哀れな抵抗者達が雑多な小火器で健気にも立ち上がってきたのを80cm列車砲の4.8t榴爆弾が都市区画ごと木端微塵に粉砕した時など絶頂すら覚える

露助の機甲師団に滅茶苦茶にされるのが好きだ
必死に守るはずだった村々が蹂躙され女子供が犯され殺されていく様はとてもとても悲しいものだ
英米の物量に押し潰されて殲滅されるのが好きだ
  
英米攻撃機に追いまわされ害虫の様に地べたを這い回るのは屈辱の極みだ

諸君 私は戦争(映画)を地獄の様な戦争(映画)を望んでいる
諸君 私に付き従う大隊戦友諸君
君達は一体何を望んでいる?

更なる戦争(映画)を望むか?
情け容赦のない糞の様な戦争(映画)を望むか?
鉄風雷火の限りを尽くし三千世界の鴉を殺す嵐の様な闘争を望むか?

『戦争(映画)! 戦争(映画)! 戦争(映画)!』

よろしい ならば戦争(映画)だ



と、少佐のありがたいお言葉にあやかってみました(笑)
やっと大学の試験が終わったので、記事を投稿します!!

今回のテーマは「戦争映画」です。
実は・・・というかお察しの通り、若造は結構、戦争映画が好きです。
と言っても、50本も見ていない、にわかレベルではありますが(^_^;) 

私が見た戦争映画の中で、おススメの作品をご紹介していきたいと思います。
なるべくネタバレは無しで( ^^) _旦~~

外国映画編


西部戦線異状なし(1930)

第一次世界大戦時のドイツ軍に所属する志願兵、バウル・ボメイルを主人公とする作品。兵士の目線から見た悲惨な戦場を描いており、バウルは戦争の恐怖・苦悩・虚しさを経験し、人格まで変貌していく。いくら兵士が死のうが、上層部にとってそれは特筆すべきことでなく、報告書には「異常なし」と書かれるのだ。


眼下の敵(1957)

時は第二次世界大戦、ドイツ軍潜水艦Uボートとアメリカ軍駆逐艦へインズが大西洋にて遭遇。Uボートとへインズの命を懸けた一騎打ちが始まった。マレル艦長(アメリカ)とシュトルベルク艦長(ドイツ)の緊迫した知恵比べが続く中、次第に両者は互いを尊敬するようになっていく。


トラ・トラ・トラ(1970)

日米合作映画。太平洋戦争の引き金になった真珠湾攻撃。なぜ日本は真珠湾に奇襲を仕掛けたのか、なぜアメリカは真珠湾奇襲を防ぐことが出来なかったのか。歴史の裏に隠された事実を公平に描いている。作品はほとんどのシーンが事務室内で進行していく地味と言えば地味である仕様だが、最後の真珠湾奇襲のシーンはゼロ戦を始めとした旧日本軍の航空機を本当に作って撮影したものであり、迫力ある仕上がりになっている。


プラトーン(1986)

舞台はベトナム戦争。クリス・テイラーは大学を中退してまで、アメリカ陸軍に志願し、ベトナム戦争に参戦した。しかし、ベトコンの襲撃、ジャングルという環境の厳しさを目の当たりにし、彼は後悔することになる。ベトナム民間人の殺害・凌辱、味方による誤爆、仲間たちの麻薬汚染、実際にベトナム戦争に従軍したオリバー・ストーン監督が描き出す「リアルな戦場」。


ハンバーガー・ヒル(1987)

ベトナム戦争時のアメリカ軍を描いた作品。1969年、アメリカ軍は北ベトナムのゲリラたちと熾烈な戦闘を繰り返していた。新兵として第101空挺師団に配属された14人の主人公たちは、攻撃目標の丘が、「兵士をミンチ(ハンバーガー)にする」というハンバーガー・ヒルだと知らされる。見たら、ベトコンが夢に出ること間違いなし。


スターリングラード(1993)o
予告編がみつからず・・・

第二次世界大戦時のドイツ軍が舞台。スターリングラードと聞くと、おそらくソ連兵を主人公とした2001年の作品の方が有名だが、個人的にこちらのほうが好きである。WWⅡ最大の激戦地と呼ばれた「スターリングラードの戦い」、全てが凍りつく世界で、ドイツ軍はソ連軍と相対することになる。


プライベート・ライアン(1998)

スティーブン・スピルバーグ監督の超大作。「最もリアルな戦争映画」と評される。正直、これを超える戦争映画を見たことがないぐらい素晴らしい出来。時は第二次世界大戦、アメリカ軍にはライアン4兄弟が所属していたが、ジェームズ以外の兄弟は戦死していた。ライアン家の母に一人でも息子を返してあげたいと考えた軍上層部は、ミラー大尉にジェームズの救出を命令。ミラー大尉は7人の部下と共に、危険なノルマンディー戦線にジェームズ救出に向かう。


ブラック・ホーク・ダウン(2001)

1993年、無政府状態となったソマリアに、アメリカ軍を中心とした統合タスクフォースが軍事介入。100名の特殊部隊が向かった首都モガディッシュには、数千の武装民兵が待ち構えていた。題名にもなっている戦闘ヘリ「ブラックホーク」が民兵に撃墜されるシーンは圧巻。また、残っている記録に忠実に描かれている作品でもある。


ロード・オブ・ウォー(2005)

戦争を描くのに、軍隊ではなく、武器商人にポイントを当てた作品。複数の実在する武器商人への取材を基に制作された。ウクライナ出身のユーリーは、アメリカで順風満帆とは言えない人生を歩んでいた。ある日、偶然見かけた銃撃戦をきっかけに、武器商人への道を歩むことになる。真に戦争を作り出しているのは誰か?? 「戦争の支配者」は誰なのか??


硫黄島プロジェクト2作「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」(2006)


太平洋戦争激戦地となった「硫黄島の戦い」を日米両方の視点から描いた2作。「父親たちの星条旗」は戦場で象徴的な写真の被写体となった主人公が、その後「英雄」として祭り上げられ、国民から戦費を調達することに利用されることに苦悩する。「俺を英雄と呼ぶな」という一言に重みがあります。「硫黄島からの手紙」は日本視点の作品。絶海の孤島で孤立無援の状況に置かれた硫黄島守備兵は圧倒的な戦力を以って侵攻してくるアメリカ軍を迎え撃つ。もはや生きて日本に帰ることは出来ないと覚悟するも、本土に残した家族への手紙をしたためる。アメリカにも、日本にも偏らない視点で戦争を描いたクリント・イーストウッド監督は本当に凄いと思います。


レバノン(2009)

イスラエルによるレバノン侵攻を描いた作品。最近見た映画の中では頭一つ抜けていました。戦車の中という狭い空間のみでストーリーは進んでいき、外の様子は砲撃手のスコープ越しにしか分からない。この特殊な構成により、戦争の全貌を把握できないのに、戦場に放り込まれた兵士の心情を表現している。


日本映画編


二百三高地(1980)

日露戦争で大激戦地となった「旅順要塞攻略戦」が舞台。金沢で教師をしていた小賀武志は日露戦争が起こるにあたって徴兵され、戦地に赴く。しかし、旅順にはロシア軍が構築した難攻不落の大要塞が存在した。この要塞を攻略するために、日本軍は多大な犠牲を払うことになる。ロシア文学を学び、ロシアを敬愛していた小賀はこの戦争の中で、次第にロシアを憎むようになっていく。


ローレライ(2005)

福井晴敏の小説が原作。ただし、原作とは別物だと考えた方が良いかも。戦争映画というよりも、ファンタジー映画に近いかもしれません。太平洋戦争末期、アメリカ海軍である噂が流れていた。美しい歌を響かせながら米軍艦船を撃破する「鋼鉄の魔女」の噂が。広島に次ぐ第2の原子爆弾が東京に落とされるのを防ぐため、絹見真一はドイツの秘密兵器が搭載された潜水艦「伊五〇七」の艦長として出撃する。


男たちの大和(2005)

旧日本海軍が誇った最大最強の戦艦「大和」。昭和20年4月、敗色が日増しに濃くなってくる日本は、戦艦大和に沖縄出撃が命じられる。出撃前日、乗組員たちは上陸が許され、思い思いの人と最後の時間を過ごす。実物大「大和」スケールのセットが作られ撮影されたので、戦闘シーンの迫力は邦画の中でも指折りである。


俺は、君のためにこそ死ににいく(2007)

1945年、敗戦寸前の日本が舞台。沖縄に上陸してきた米軍を食い止めるために特攻隊に出撃が命じられる。「特攻隊の母」と呼ばれた鳥濱トメの視点から、特攻隊として死に逝く若者たちの短い青春を描いている作品。右派的人物として有名な石原慎太郎が脚本を手がけたこともあり、左翼的な方々から「太平洋戦争賛美」だとして批判を浴びた作品であるが、この作品を見て戦争賛美と捉える人はおよそいないと私は思う。


真夏のオリオン(2009)

おそらく、上でも紹介した「眼下の敵」の影響を色濃く受けている作品。太平洋戦争末期、日本軍潜水艦「イ-77」は天才的な戦術を駆使する倉本孝行を艦長とし、米軍輸送艦を次々に撃沈していた。しかし、「潜水艦ハンター」と呼ばれるマイク・スチュアート率いるアメリカ軍駆逐艦「パーシバル」が「イー77」を撃破するために動き出した。


太平洋の奇跡-フォックスと呼ばれた男-(2011)

日本軍が玉砕したサイパン島にて、生き残り47人を率いて45000人の米軍を翻弄した実在の人物、大場栄大尉を主人公とした作品。1945年のポツダム宣言後も、終戦を知らずに戦い続けた実話を基にしている。個人的にこの作品の中で歌われる「歩兵の本領」という軍歌が好きである。


こんな感じです。ちなみに、「私は貝になりたい」などの戦後処理に関する作品や、「ヒトラー 最後の12日間」の様な戦争に焦点を当てていない作品は抜かしてあります。ラインナップを見ると、いかに若造がにわかか分かりますね(笑) でも久しぶりの記事ですし、動画をたくさん貼った贅沢な記事にしました(^_^;) 編集画面が重い重いw

ブログ拍手してくれたら、嬉しいんだからね///
あ、これじゃツンデレになってないな(笑)

ではではノシ


バンコクデモ

皆さん、こんにちは($・・)/~~~

大学最後のテスト期間中の若造です。
いや~~、勉強しなきゃなぁ・・・(笑)

というわけで、今回は何やらキナ臭い事態が起こっているタイのお話です。私、タイ料理って実は苦手なんですよね。パクチーとかの香草があまり得意ではないというか・・・(^_^;)

そんな話題ではありません(笑) 今、タイの首都バンコクでは、非常事態宣言が発令されています。その理由は「民衆の反政府デモが激化していること」にあります。

ニュースなどで御存じの方も多いと思いますが、タイの国民たちは真っ二つに分かれて対立しています。タクシン元首相を支持する「タクシン派」と、タクシン元首相を嫌う「反タクシン派」です。

そんな国を二分するような事態を招いたタクシン元首相って誰なんでしょうか??
タクシン

タクシン・チナワットは2001年から2006年までタイ首相だった人です。この人、通信事業で大儲けして政治家になった人でした。タクシンは、タイの過半数を占める農民の支持を得るために、既得権益層である資本家や中間層の利益を切り崩した政策を実施しました。例えば、医療保険制度ですとか、地方のインフラ整備ですとかね。

反対派はタクシンの政策を「ポピュリズム的政策」(迎合主義)だと批判したりします。「なんだ、弱者の味方で良い政治家か」と思った方もいるかもしれませんが、タクシンはぶっちゃけロクでもないですw タクシンの周りには黒い噂が絶えなくてですね、おそらく不正献金やってました。

そんなタクシンですが、農民や貧困層の支持は圧倒的です。資本家や中間層などの反タクシン派は数で劣るため、民主主義制度の下ではタクシンに対抗できないのです。反タクシン派は「民主市民連合」(以下、連合と呼びます)を結成して、反政府デモを起こしますが、選挙ではタクシンを追いだせません。

そんな中、2006年に軍によるクーデターが起こります。タクシンがアメリカ訪問している隙を突いて、反タクシン派の軍部が彼を政権から追い落としたのです。軍部も既得権益層だったので、タクシンのことが気に食わなかったのですね(-_-;)

ここからタクシンは事実上の亡命状態に追いやられました。その後のタイは軍部による暫定政府が設置されるわけですが、この間、タクシンの政党である「タイ愛国党」が憲法裁判所により解党を命じられると、タクシン支持者たちがこれに反発!! 「反独裁民主同盟」(以下、同盟と呼びます)を結成してデモ活動を開始することに。

しかし、2008年にタイ愛国党の後継政党である「国民の力党」が政権を握ると、同盟のデモ活動は鎮静化しました。数の力は民主主義では強いですね。ところがですよ!! 今度は反タクシン派の連合が反政府デモを開始します。これを受けて、せっかく鎮静化した同盟の活動も、ふたたび盛り上がり、同盟と連合は激しく対立するようになるのです。

「同盟VS連合」です、まるで第二次世界大戦です(^_^;)

2008年12月に、国民の力党も選挙法違反を(表向きの)理由に憲法裁判所に解党を命じられてしまいます。そして政権の座には、反タクシン派のアピシット首相が就きました。もちろん、同盟は黙っちゃいません。大規模な反政府デモを開始するのです。このデモには国外にいるタクシンもビデオで反政府演説を送り、煽りました。そして、連合も同盟に対抗するカウンターデモを実行するのです。

対立
タクシン派
黄色

同盟は赤をシンボルカラー、連合は黄色をシンボルカラーとしています。万が一、タイに出かける方がいましたら、赤と黄色の服を着ることは避けた方が無難かと・・・(-。-)y-゜゜゜この両派のデモの中で、多数の死傷者が出ました。実は日本人カメラマンも一人亡くなっています。2010年には「バンコク騒乱」と呼ばれる大騒動にまで発展しまして、このいざこざは2011年まで続くことになります。

2011年に再度の総選挙を行うことになり、ようやく事態は収束したように見えました。しかし、政権の座に就いたのは、タクシンの実の妹であるインラック・シナワトラだったのです。まぁ・・・もちろん・・・連合が黙ってませんね・・・(・.・;) キリが無いですね(笑)

とまぁ、この連合の反政府デモは今に至るまで継続していまして、この度はデモ隊を狙った爆弾事件などの暴力事件が多発するようになり、バンコクで非常事態宣言が出されるに至るのです。


いやぁ~、タイも大変なんですね(^_^;)(タイだけに・・・(ボソッ))
日本はあまりデモが起きない国ですけども、良くも悪くも混乱は起きづらいのかもしれません。

今回はこのへんで($・・)/~~~

ではではノシ
猪瀬直樹

皆さん、こんにちは($・・)/~~~

そういえば今日は大学入試センター試験の日ですね。いやぁ・・・思い出しますねぇ・・・4年前に受けたときのことを。合格祈願のお守りが椅子に引っかかって、強引に取ろうと引っ張ったら、キレイにお守りが真っ二つに割れてしまったなぁ(笑) まぁ、無事に受かったので良かったですけど(・.・;)

そろそろ東京都知事選挙が近くなってきたので、「2014年東京都知事選挙」についての記事を書いてみたいなと思います。

実は若造も都民ですので、選挙に行かなければなりません。皆さんは普段、選挙に行ってますか?? いや、マジで行かないとダメですよ!! 「めんどくさい」とか「寒い」とか、いい大人が言ってる場合じゃないですからね。 せっかくの民主主義国家なんですから、ある意味、選挙で投票するのは国民の義務ですよ!! 中国人なんて投票したくても選挙が無いんですからね!!

なんでこんなに選挙に行くことを促しているかと言いますと、日本は投票率が低いからです。前回の都知事選の投票率は62.6%ですから!! なんと三人に一人は投票していないのですよ!! いや、都知事選はまだマシなほうで、都議会議員選挙なんて43.5%ですから・・・。

皆さん、選挙は必ず行きましょう!!(迫真)

さて、本題に入りましょう。

今月23日に告示され、2月9日が投票日である「2014年東京都知事選」ですが、13人の人物が立候補しています。最初に申し上げておきますが、私は「誰に投票してください」とか、「誰には投票しないでください」とかは言いません。そういうブログじゃないですしね(^_^;)

以下13名(敬称略)
舛添要一(ますぞえよういち)
細川護煕(ほそかわもりひろ)
宇都宮健児(うつのみやけんじ)
田母神俊雄(たもがみとしお)
ドクター・中松(なかまつ)
中川智晴(なかがわともはる)
五十嵐政一(いがらしまさいち)
鈴木達夫(すずきたつお)
マック赤坂(あかさか)
根上隆(ねがみたかし)
姫治けんじ(ひめじけんじ)
内藤久遠(ないとうひさお)
平澤求(ひらさわもとむ)


これら候補者の中でも有力候補としてメディアで扱われているのは、4人ですね。

舛添要一(ますぞえよういち)
元厚生労働大臣。無所属出馬。自由民主党都連、公明党都本部推薦。
脱原発を主張。「2020年東京オリンピック・パラリンピックの成功、首都直下地震対策、社会保障政策」を政策の三つの柱に掲げている。


細川護煕(ほそかわもりひろ)
第79代総理大臣。無所属出馬。
小泉純一郎の推薦を受け、脱原発を最も強く掲げる。東京都内に再生可能エネルギー設置要求や、原発事故を理由とする2020年オリンピック返上を主張する。


宇都宮健児(うつのみやけんじ)
日本弁護士連合会元代表。無所属出馬。日本共産党、社民党、緑の党推薦。
脱原発、憲法9条維持、日の丸・君が代条例反対、中国・韓国との関係改善を主張する。


田母神俊雄(たもがみとしお)
元航空自衛隊幕僚長。無所属出馬。石原元都知事推薦。
安全性を確保しての原発再稼働、自衛隊を含めた首都直下地震時の救護体制構築などを主張する。




私が誰に投票するかは言いませんが(正直・・・ロクな候補者がいないと思ってます・・・)、今回の都知事選をめぐる報道を見ていて、ひたすら違和感を抱く点があります。それは都知事選の争点です。テレビや新聞の報道を見ていますと、細川候補が「脱原発」を言いだしてから、まるで「原発の是非」が最大の争点であるかのように扱われています。

それっておかしくないですか?? 原発を含めたエネルギー政策なんて明らかに「都政問題」ではなく、「国政問題」ですよね。確かに東京都は日本の首都であり、GDPなんかを見ても、中小国よりよほど大きい規模を誇るメガロポリスではありますが、飽くまで地方自治体の一つです。

原発問題とか憲法問題とかを扱いたいならば、衆議院・参議院などの国政選挙に出るべきですよね。どう考えても、都知事選の争点は「オリンピックに向けた施設整備、首都直下地震対策、老朽化するインフラ対策、雇用創出問題」などなどの都政に関わる問題であるべきじゃないですか(-_-;)

東京都にお住まいの方々は良くお考えを。我々、都民が都知事に求めるべきなのは何であるのかを(^_^;)

あ、なんかスミマセンね、偉そうなこと言っちゃって・・・。でも、派手に振られる旗ばかりを見ていると、後々ロクなことにならなそうな気がするんですよね。なんだかんだで猪瀬前都知事の「徳州会からの献金疑惑」も、うやむやになってしまっているし・・・(笑)

どの候補者を支持するのかは、皆さんの御自由ですが、争点の本質だけは見失わないようにしましょう($・・)/~~~

拍手・コメントなどは大歓迎です(^v^)

ではではノシ
ヒトラー

皆さん、こんにちは($・・)/~~~

なんか日本海側は大雪が降って大変みたいですね。若造は東京にいるので、年に一、二回程度しか降雪に見舞われません。東京って数センチの積雪でも、電車が止まったり、交通渋滞が起きたりすのですが、新潟や北海道の人からしたら鼻で笑うレベルなのでしょうね(笑)

「朝起きて雪が積もっていたときに、嬉しくなったら子供で、嫌だと思ったら大人である!!」 これって結構核心を突いてませんか?? 近年、降雪に嫌悪感を抱くようになった自分に気付きまして、「年をとったんだな~」とシミジミ思う若造です(^_^;)

まぁ、そんな話は置いておきまして、今回の話題は「ヒトラーの演説」です。

ヒトラーと言えば、第二次世界大戦時のドイツの独裁者。ナチス党を率いて、ユダヤ人の虐殺などの所業を行った悪名高い人物です。

しかし、あまりにも悪名高過ぎて、「悪役」としてのヒトラーは有名でも、「人間」としてのヒトラーがあまり知られていないのもまた事実。仮にもドイツのトップにまで上り詰めただけありまして、秀でていた面も見られます。

ヒトラーの優れていた能力として、最も有名なのが「演説能力」であります。


  ↓演説の日本語訳↓ 
第6回党大会は終わりを迎えた。
党外の何百万ものドイツ人は、この党大会を
政治的権力の荘厳な見世物だと
見なしただけかもしれない。
しかし、この党大会は、何十万もの戦士たちにとっては、
それを遥かに超える意味を持つものであった。
これは、古き戦士及び戦い続ける同志たちの、
偉大な人格的・精神的大会であったのだ。
そしてことによると、この党大会の壮麗さにも関わらず、
諸君の中には国家社会主義者である事が、
困難だった日の事を切なく思い返していた者もいることだろう。
我が党の党員がわずか7人であった時においても、
党は2つの原則をはっきりと示していた。
一つ目は、思想的に明確な世界観を持つ党であるという事。
2つ目は、それ故に、ドイツで唯一の妥協無き権力を求めるという事だ。
党として、我々は少数派に属し続ける必要があった。
なぜなら、国民の闘志と犠牲的精神を、
終結させなければならなかったであり、
それは常に多数はにではなく、少数派に帰するもんであったからだ。
誇り高き自身と共にに、このドイツ国民で最良の人々が、
勇敢かつ明確にドイツの、そして国民の指導的地位を要求した。
そして一般国民はこの指導的地位に参加し、
彼ら自身それを従属させたのである。
ドイツ国民は、過去変わり続ける政治指導者が
今や国家を導く不変の柱によって取って代わられた
という事を知った幸福の中にいる。
我々は自らを最良の血統の代表だと見なしている。
そして我々は国家の指導的地位を保持し、
決して手放さないと決心したのだ。
一部のみではあるが、戦士たちの戦いは続いている。
彼らは他の国民よりも多くのことを求められている。
彼らにとっては単純に「私を信じる」というのでは不十分である。
むしろ、こう誓うべきなのだ。「私は戦う」と!
党は常にドイツ国民の政治的指導者であり続ける。
それは、その主義において不変のままであり、
その組織において鋼鉄の如く堅固なままであり、
その戦術において柔軟かつ順応性に富むままである。
しかし、その存在において、それは聖職と同様なものであるのだ。
我々の目標は、その忠実なドイツ人が国家社会主義者となる事でなければならない。
だが、「最良の」国家社会主義者は、党員諸君のみである!
かつて、我々の敵対者は我らに迫害を加え、
結果として我々の望まない要素を我が党から取り除いた。
そして現在、我々は自身をさらに詳しく調べ上げ、
望まない悪しきものを取り除かなければならないのであり、
悪しきものの居場所は我々の中には無いのだ!
この国家とこの帝國が、今後何千年にもわたって存続し続ける事は、
願いであり意思であ る。
我々は幸運にも、この未来が完全に我々のものだと知る事ができるのだ。
もはや古き世代が進めなくなった時には、
若者が全身全霊を捧げて進んでいくのだ!
党は、全員の力を総動員し、国家社会主義の理想の最高の具現者となり、
そしてその時、党はドイツ国民とドイツ帝国にとっての
永遠で不滅の支柱となる!
さらに、我等の栄光ある国軍、国家の伝統的で誇り高き戦士は、
同様に伝統的な政治指導 者である党と結合する。
党と国軍の両者は、共にドイツ国民を教育し、強固にする。
そして彼らはその双肩にドイツを背負って立つのだ!
今この時にも既に何万もの党員がこの都市を離れつつある。
※この都市=ニュンベンベル グ
ある者は自らの思い出に浸っている事だろう。
またある者は次回の召集に備えている事だろう。
何度でも人々は集い、そして去ってゆく。
そして彼らは新たに統制され、鼓舞され、奮起する。
なぜなら、この思想はこの運動は我が国民の強烈な自己表現であり、
永遠の象徴であるの だから!
国家社会主義運動万歳!
ドイツ万歳!

引用元:http://ameblo.jp/ghostripon/entry-10268096572.html


上に貼った映像は、第6回ナチス全国党大会の記録映画として有名な「意志の勝利」の演説シーンです。まぁ、もちろんプロパガンダとして利用された映画でもあります。でも、どうですか?? 正直、私はドイツ語まったく分からないのですけども、なんとなく聞いてしまう魅力を感じます。

ヒトラーが壇上に上がるのを、聴衆は盛大な拍手で迎え入れます。ですが、ヒトラーはなかなか話し始めません。聴衆の拍手が止み、自分に意識が集中するのをジッと待っているのです。

聴衆が演説の始まりを今か今かと待っているときに、ヒトラーはようやく口を開きます。その口調は優しく語りかけるように穏やかです。しかし、演説が進むにつれて、徐々にヒートアップしていき、やがては大ぶりの身振り手振りを交えて情熱的に聴衆に訴えかける演説を行うのです。

ヒトラーの演説は、その内容にも大きな特徴があります。それは、具体的なことはほとんど言わないのです。日本語訳を読んでみてください。民族の誇りを訴えかけるばかりで、具体的な政策や方針には触れていません。これは、具体的なことを言い、些細な点でも聴衆の考えとずれていたときに、聴衆が離れて行ってしまうことを恐れるがゆえです。

そして、ヒトラーの政治的な演説は主に一般大衆に向けて行われました。一般大衆には、子供から年寄りまで、金持ちから貧乏人まで、学のある人から無教養な人まで様々な人がいるので、「誰にでも理解できる内容の演説」を心がけていたそうです。そのポイントとは、「スローガン」、「二者択一」です。

スローガンとは、自分の政策を短くまとめた言葉のことです。ヒトラーの場合は「職とパンを!」ですとか、「外国からのドイツ解放!」とかです。これらのスローガンは、聞く人にとって実に分かりやすく、かつ「あいまいに」内容を伝えられるのです。内容があいまいなのが良いのは上記の通り。日本の歴代首相たちもたびたびスローガンを用いてましたね。佐藤栄作の「国民所得倍増計画」ですとか、田中角栄の「日本改造論」ですとか、小泉純一郎の「聖域なき構造改革」とか。このスローガンを何度も何度も、聴衆たちの印象に残るように繰り返し演説するのです。

二者択一とは、「自分か、政敵か!?」の対立構造を示すことです。ヒトラーは当時のワイマール政府や、ユダヤ人資本家、あるいは外国勢力を取り上げまして、これらのことを徹底的に叩きます。そして、自分と政敵のどちらを取るのかを聴衆に迫るのです。いわゆる「敵」を作り上げる手法は、たびたび日本でも見られまして、今でいえば「中国」、少し前の民主党政権時代は「官僚」でしたね(^_^;)

ヒトラーの演説は、その舞台もよく考えられたものでした。例えば、演説の時間帯です。ヒトラーの演説の多くは夕暮れ時に行われました。その理由は、「夕暮れ時と言うのは、人々が日々の生活によって最も疲れている時間帯」でありまして、この時間帯に情熱的な演説をすることによって、疲れた頭の聴衆たちを一種の催眠状態に誘導することが出来たそうです。

音響効果まで利用されており、ヒトラーが演説する前まで重層低音(人間の耳では聞こえないが、なんとなく不快な気分にさせる音)をスピーカーで流し、いざヒトラーの演説が始まったら、その重層低音を止めることによって、ヒトラーの存在を心地良いものに錯覚させることまでしていたそうです。

このヒトラーの演説は、政治家をはじめとした多くの人物が参考にしています。我々、聴衆側として教訓となるのは、「演説の本質を見抜かなければならない」ということですね。耳触りのよい言葉、あるいは聞きかじりの言葉を鵜呑みにしていたら、痛い目に遭うということを歴史は教えてくれます(-。-)y-゜゜゜
ヒトラー最後の12日間
ちなみに、「ヒトラー 最後の12日間」という名作映画がありますので、お暇がある方は見てみるのも面白いと思いますよ。

今回はこのへんで($・・)/~~~

ではではノシ
20100531_des_01.jpg

皆さん、こんにちは($・・)/~~~

今回は「南スーダン」の話でもしようかなと思っていたら、yahooニュースで「若者ホームレス」の話題が出ていたので、こっちの話をすることにしましょう。

  ↓クリック↓
http://seiji.yahoo.co.jp/close_up/1453/

たまには社会問題もいいよね(-。-)y-゜゜゜
安全保障問題ばっかじゃ飽きるもんね(笑)

ちなみに最初に貼った画像はフランスの「samusocial」という人道支援団体が出した広告でありまして、「長年のホームレス生活から脱出できなくなった人」を「路上のアスファルトに溶け込む」という形で表現しています。「もっとホームレスたちに目を向けてくれ!!」と訴えているのです。

ホームレスと聞いて、皆さまはどのような人々を思い浮かべるでしょうか?? 公園や河川敷にブルーシートでテントを張り、ゴミや資源回収の空き缶などを漁り、来ている服は垢などの汚れで黒ずみ、髭や髪は伸び放題、公園で炊き出しがあれば列をなして並ぶ人々。こんなイメージじゃないでしょうか??

しかし、近頃増加している「若者のホームレス」はこの限りではないそうです。
彼らは一般人、つまりは「普通の人」と同じような恰好をし、一目見ただけではホームレスとは分からないそうです。もちろん、彼らは持ち家がないので、いわゆるホームレスであることは間違いないです。しかし、ホームレス支援する人が彼らをホームレスだとは認識できないために、「若者ホームレス」に支援が行き届かないのです。

なぜ彼らが「普通の恰好」をしているのかと言いますと、彼らが生活している場所にその理由が見いだせます。彼らは我々のイメージするテント暮らしではなく、実際にはネット喫茶やファーストフード店、あるいは友人の家を転々として暮らしているからです。

今の世の中は便利ですからね。かくいう若造も地方に行ったときは宿代を節約するために、ネット喫茶に寝泊まりしたりしています。今のネット喫茶はシャワーも浴びれますし、洗濯やアイロン掛けすることも可能なところもあります。そんなこんなで12時間利用で2000円程度ですから(^_^;)

2002年に制定された「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」では、ホームレスの定義を「都市公園、河川、道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場所とし、日常生活を営んでいる者」としています。そうです、この定義だと若者ホームレスは、ホームレスに含まれないのです。ゆえに、法的支援が若者ホームレスに届かないのです。ホームレスの数は減少傾向にあるそうですが、若者ホームレスを加えた実態は分からないですね。

さらに若者ホームレスは自分から援けを求めないそうです。と言うよりは、周りからホームレスとは思われたくないとのこと。これは同じ若者である私でも、想像がつきます。若いがゆえにプライドを捨てきれないのだと思います。

ここからは想像です。実際に路上生活をしている人は、正直、今日を生き抜くことに精一杯で、「ホームレスが恥ずかしい」だとか考えている暇が無いでしょう。しかし、ネットカフェならば、雨風しのぐことも出来ますし、ネットを利用することもできます。つまり、冷静になれる場があるのですよ。ネットを見てみれば、「勝ち組・負け組」、あるいは「底辺」だとか言う言葉をしょっちゅう目にします。それだけ、今の自分の立場を冷静に考えてみた時に、「恥ずかしい」という感情が湧きあがってくるのでしょう。

「プライド」というのは、実にやっかいなものですね(^_^;) プライドが無ければ、ただの卑屈な人間でありますが、プライドがあり過ぎるのも高慢な人間なのでしょう。それがどんな立場の人間でも・・・。特に若い人は「プライド」に固執するきらいがあると思います。少なくとも、私はそうです。

しかし、ときには「プライド」を捨てて、誰かに援けを求めることも人生必要なのでしょう。誰かの援けを得てでも、立ち直り、それから新たな「プライド」を見つける。口で言うのは簡単ですが、実際にやるのは難しいということなのでしょう(-_-;)

アナタが今日、すれ違った若者たち、その中の何人かはもしかしたら「若者ホームレス」なのかも・・・。

今回はこの辺で($・・)/~~~

ではではノシ


PKO活動

皆さん、こんにちは($・・)/~~~

正月もあっという間に終わってしまいましたね(^_^;)
さて、今年はどんな年になりますかね?? 私にとっては新たな門出を迎える年なので、少しでも良いことがあるように願うばかりです(笑)

さて、今回はリクエストされました「PKO活動」についての記事を書きたいと思います。

皆さま、PKO活動ってニュースとかで聞いたことがありますよね??

PKOは「Peace Keeping Operation」の頭文字を取ったものでして、「平和維持活動」のことを指します。平和維持活動とは、「紛争が起きている国や地域に各国の軍隊を派遣し、平和状態の構築を行う」ことを目的とした活動のことです。

自衛隊も参加してますよ。最近、話題の南スーダンでのPKO活動にも自衛隊は派遣されております。

さて、一口に「平和を構築する」と言っても、どのような手段を用いるのでしょうか??
平和維持活動の手段は大きく分けて2種類あります。

①監視活動
非武装の監視団によって行われます。紛争を行っている当事者たちの監視を行ったり、休戦・停戦地域の運営などを行っております。また、紛争当事者たちの間に入り、交渉の仲介を行うこともあります。


②平和維持
武装した平和維持軍(PKF、Peace Keeping Force)によって行われます。実際に起きている紛争の中で、避難民の保護・インフラ復旧・人道救援活動に加えて、ときには武力を用いて戦争犯罪人の逮捕・対ゲリラ作戦・停戦・休戦の監視を行います。


基本的に平和的な交渉を用いて紛争を調停することを優先します。なぜなら、武力を用いて無理やり調停しようとすることは、言ってみれば紛争に参戦することであるからです。第三者として紛争している両者の間に入ることに意味があるのに、紛争の片棒を担いだら意味ないですよね(@_@;)

では、PKOが派遣されるにはどのような条件が必要なのでしょうか??

その条件とは、ずばり!!国連の決議を経ることです。

平和維持活動は「安全保障理事会」が指導するので、安保理決議を経る必要があるのです。これが実にネックでありまして、皆さまご存じのように、安全保障理事会には「拒否権」を持っている五大国(アメリカ・ロシア・イギリス・フランス・中国)が出席しています。五大国のうち、一国でも拒否権を発動すればPKOは実施されないのです。

ちなみに未だに内戦が続いているシリアへのPKOが派遣が遅れた背景には、アサド政権との関係が深いロシア・中国の拒否権発動がありました。要は、PKOは大国の国際政治の道具となってしまうことがあるのです。いや、これはまだマシなほうでして、かつて冷戦が行われていた時期には、五大国が「拒否権」を乱用しまして、PKO活動自体がいわば「脳死状態」に陥っていました。

しかし、冷戦が終結すると、ブトロス・ガリという当時の国連事務総長がPKO改革を行いまして、国連は積極的に紛争調停に乗り出すようになりました。まぁ、その結果がボスニア紛争やソマリア内戦での散々な結果に繋がりまして、一事はまたPKOに消極的になってしまうのですが・・・。
 ↓参考にどうぞ↓
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n84231


前述しましたように、我らが日本の自衛隊もPKO活動に従事しております。とはいえ、憲法9条がある日本がPKOに参加するのは、なかなか一筋縄ではいかないのです。

日本が初めてPKOに参加したのは、1991年のこと。前年の1990年に、あの湾岸戦争が起こりました。当時、フセイン政権であったイラクがクウェートに侵攻したのです。国連はこの侵攻を「侵略行為」だと認定し、アメリカ軍を中心とした国連軍を派遣して、イラク軍を叩きました。

これにより、イラクはクウェートから撤退することになり、クウェートは救われました。しかし、日本は憲法9条があったため国連軍には参加できず、資金援助をするに留まりました。でも、あれですよ、130億ドルもの多額の資金援助をしたのです。

クウェート政府は国際社会に感謝の意を表す為に、ワシントン・ポスト紙の全面を使った壮大な広告を打ち出し、クウェートに尽力したすべての国々の国旗を掲載しました。しかし、そこに日本の国旗「日の丸」は無かったのです。逆に「日本は金だけ出して、人を出さない」と非難する姿勢すら見せました。「これはマズイ」と日本は1991年にペルシャ湾に海上自衛隊を派遣し、機雷除去を行うPKOを行うに至ったのです。

現在は、1992年に制定された「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(PKO協力法)」によって、たびたび自衛隊はPKO活動に従事しております。ただし、憲法9条があるために、紛争地帯には派遣できない状況です。


では、最後に何のためにPKOを行うかという話です。

もちろん、まずは「人道的な理由」ですよね。

紛争地帯では虐殺・拷問・略奪などなど、様々な反人道的な行為が横行しやすいのが現実です。この反人道的行為を防ぐためにPKOを行うんですね。

でも、ぶっちゃけこんな綺麗事だけでPKO派遣する国はありません。その裏には国連内での主導権争いなどの実に「国益」をふまえた理由があるわけです。でも、そうですよね?? どっかの誰かが殺されるのを防ぐためだけに、自国の国民である軍隊を危険な場所に派遣できないでしょう。

別の大きな理由に「紛争国に安定をもたらす」こと自体に意味を見出すものがあります。というのも、紛争地帯と言うのは、国際テロリストや国際犯罪組織の温床になりやすいんです。アフガンとアルカイダとか思い出してみてください。さらに、武器の密造や、大麻の栽培などなど、自国にも社会不安をもたらす可能性が高い犯罪の多くが紛争地帯を起源としています。


おそらく日本はこれから、さらに多くのPKOに参加するようになるでしょう。国際的な役割が増えてくるはずです。これは派遣される自衛隊員だけの問題ではなく、我々、一般国民にも密接に関わっています。民主主義国家の国民として、たまにはPKOについて考えてみるのもいいのでは??(-。-)y-゜゜゜

今回はこのへんで($・・)/~~~

そして、こっそりブログアクセス数4000突破ばんざ~い(笑)

ではではノシ
皆様、あけましておめでとうございますm(__)m

無事に日本に帰国いたしました若造でございます。

長らくブログの更新が滞っていたことを陳謝すると同時に、明日より更新を再開することをお知らせしておきます\(゜ロ\)(/ロ゜)/

皆様にとって2014年が良いお年となりますことを心からお祈り申し上げております( ^^) _旦~~
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