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出エジプト

ヘブライ人は奴隷とされた。エジプトの奴隷と言えば、エジプトの最も象徴的建造物であるピラミッドも奴隷によって建造されたという説がある。この説は一昔前まで最も有力視されていたが、1990年代にギザの大ピラミッド付近にてピラミッド建設に従事したと思われる労働者達の住居跡と墓が発見された。

奴隷が住居と墓を与えられるはずもなく、ピラミッド奴隷建造説は否定された。実は労働者達のチーム編成や労働記録を記した文字も発見されており、ピラミッド建設時の労働環境が想像されていたような過酷なものではないことも分かっている。当時の記録によると、「二日酔いにて今日は休みます」という労働者の申告もあり、現代日本の労働環境よりも余程ゆとりあるものであったかもしれない。

エジプトの奴隷建造説が否定されたとはいえ、奴隷たちは依然として奴隷である。周囲を砂漠に囲まれた国での奴隷、さぞや厳しいものであるだろう。逃げ出そうにも、砂漠で朽ち果てるのがオチである。ヘブライ人達はこの後、エジプトで紀元前13世紀に至るまで奴隷であり続けるのである。

ヘブライ人達が行動を起こしたのはエジプト第19王朝の時代、旧約聖書「出エジプト記」によるとこの頃のエジプトでは奴隷身分であったヘブライ人達の人口が大きく増えていたようである。時のファラオはラムセス2世であるという説もある。ラムセス2世はエジプト軍を率いてパレスチナまで侵攻し、当時小アジア(今のトルコ辺り)に勢力を築いていたヒッタイトと大規模な戦争を繰り広げ、世界で初めての和平条約を結んだことで知られる。

出エジプト記にはファラオ「ラムセス」という記述しかなく、このラムセスがラムセス2世のことであるかは不明であるが、兎に角もラムセスは増えすぎたヘブライ人達を見て、「ヘブライ人達はエジプトで反乱を起こすのではないか」と考えた。ヘブライ人達の人口を減らさなければならない、ラムセスが考えたヘブライ人人口抑制策は非情なものであった。

その内容とは「生まれたヘブライ人の内、男児は皆殺しにせよ」である。当然ヘブライ人達は反発するが、彼らは奴隷である、強大なエジプトに対して刃向かうことなど出来ない。彼らは生まれた息子たちを隠そうとした。その隠された男子の一人がモーセであった。

このモーセはユダヤ教の中では最も重要な預言者であるとされる。エジプト人に見つかりそうになったとき、モーセの母親は息子を籠に乗せてナイル川へ流した。流されたモーセはなんとファラオの一族である王女によって拾われ、王宮で育てられることになる。成長したモーセはヘブライ人を酷使するエジプト人を成り行きで殺害してしまい、アラビア半島へと逃亡することになる。そして、逃亡中に神から「エジプトに戻り、ヘブライ人達を率いてカナンの地へ向かえ」というお告げを受けたらしい。エジプトに戻ったモーセはエジプト人たちをまとめ上げ、エジプトからの逃走を図った。

ファラオは軍勢を差し向けて、モーセたちを追った。とうとう紅海に追い詰められたモーセたち。そこでモーセが神に祈ると、紅海の水が二つに割れ、ヘブライ人達はエジプトの追手を振り切ることが出来たという。其の後、ヘブライ人達は40年かけてカナンの地まで辿り着き、ここに定住したのだ。ここまでの物語は旧約聖書「出エジプト記」に記されている内容で、もちろん脚色も含まれているが、ヘブライ人達がエジプトから逃れたのは事実であるようだ。この後より、ヘブライ人達は自らを「イスラエル人」であると称した。

<ここまで>

皆さん、こんにちは($・・)/~~~

はぁ・・・三連休が終わってしまった・・・
こんなにも三連休の終わりが悲しいものだとは学生時代には想像もできませんでした(笑)

ちなみに若造、昨日は横浜にある「ラーメン博物館」に行ってきました。博物館って言っても、別にラーメンの歴史とかが展示されているわけではなく、全国の人気ラーメン店が出店している場所です。なんかあれですよ、昭和の街並みが再現されているのですけど、その再現っぷりが半端じゃなくて、すごく凝ってます。ノスタルジックな気分に浸れました。まぁ、若造は平成生まれなんですけどね(-。-)y-゜゜゜

それはそうと、なんだか現代のイスラエルの方も、なんだかキナ臭くなっていますね。なんだか最近は世界中で火種が増えているように感じます。ウクライナといい、イスラエルといい、イラクといい・・・(-_-;) 

ではではノシ

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2014.07.16 超朗報!!
皆様、二週間ぶりです。

若造です( ^^) _旦~~

しばらく更新が滞って申し訳ない!!
なかなか更新できなかった理由は2つ!!

①仕事が忙しい(現在進行形)
②パソコンがぶっ壊れた!!

まぁ、あれです、理由①は前からですが、理由②が更新できなかった最大の原因ですね(´・ω・`)

しか~し!! やっと昨日新しいPCが届きましたゆえ、更新を再開したいと思います。
16万円もしちゃったぜ!! 財布がカツカツだぜ!! 給料日まで厳しいぜ!!

というわけで、ちょくちょく覗きに来てくれた方々、すみませんでした(-_-;)
明日は日帰り出張なので、更新できませんが、絶対に週末には更新しますのでお待ちください|д゚)

ではではノシ
古代エジプト


イスラエルという国家がある。その国土は南北に細長く、国土面積にして約22,072キロ平方メートルであり、大きさは日本の6割程度である。西には地中海が広がり、南にはアフリカ大陸とアラビア半島を分かつ紅海への出口がある。そして、多くの中東国家の例に漏れず、国内にはネゲブ砂漠という広大な砂漠を有している。このイスラエルには、「イスラエル」とは別の呼び名がある。もう一つの呼び名は「パレスチナ」である。「イスラエル」と「パレスチナ」、同じ土地でありながら二つの呼び名を有するのは何故であろうか。この二つの呼び名の起源を知るためには、我々は数千年前の歴史を紐解かなければならない。

人類の歴史上、最も早く文明が築かれた場所の一つがイスラエルである。無論、何を以ってして文明とするかは未だに議論が絶えないところであるが、ともかくも「歴史」上にその地域は早い段階で登場する。古代のイスラエルは「カナン地域」と呼ばれ、後に同地域で商人として名を馳せるフェニキア人の祖先と言われるカナン人を始めとし、多くの民族が暮らしていた。イスラエルは乾燥地帯の広がる中東においては、ヨルダン川を始めとする水源に恵まれ、地中海に近いことから交易も可能である理想郷であったのだ。

やがて、このカナンの地にヘブライ人という遊牧民族が移住してくる。後にユダヤ人と呼ばれる民族である。彼らはこのカナンの地で遊牧生活を続けたが、紀元前17世紀頃に突如としてエジプトへ集団移住することになる。エジプト、国土の大半は砂漠で構成された地域である。しかし、砂漠であることが外敵の侵入を妨げることにも繋がった。古代エジプト人たちは強大な外敵に攻め込まれることなく、独自の文明を築き上げたのだ。それが現代までその足跡が残るエジプト文明である。砂漠において、エジプト人たちが強大な国家を築くことが出来たのは、世界最長の河川であるナイル川がその地域を南北に横断していたからだ。「歴史の父」と呼ばれるギリシャ人、ヘロドトスは現代まで残る世界最古の歴史書でもある自身の著作の中で、「エジプトはナイルの賜物である」と記述している。

彼は自身の人生の中で見聞した物事をまとめ上げ「歴史」を記述したが、紀元前5世紀の当時としても、既にエジプトにおけるナイル川の重要性を人々が認知していたことになる。ナイル川は一年の内、数回ほど洪水を引き起こす。無論、洪水は人々の生命・財産を奪い甚大な被害を与えたが、一方で川底から栄養分を土壌にまき上げる恩恵ももたらし、人々は豊かな農作物を蓄えることが出来たのだ。其の内、洪水被害を最小限に抑えようと考えるようになった古代エジプト人たちは、何とかして洪水のタイミングを事前に察知出来ないかと苦慮した。星々の動きから洪水を察知できないかと努力した結果、ある種の天文学が発達し、暦が生まれた。エジプト歴である。暦が生まれたことで、洪水を事前に察知できるようになったエジプト人たちは、ナイル川の恩恵のみを存分に活用し、強大な国家を築き上げたのだ。苦難の中で、人間が試行錯誤することによって発展が生まれたのである。

余談であるが、エジプトではビールが日常的に飲まれていたことが知られている。ビールの起源についてはメソポタミアであるとも言われるが良く分かっていない。古代エジプト人達は壺にビールを入れ、藁を用いたストローで飲んでいた。ストローが藁(英語でstraw)を語源とするのは、これが理由である。何故直接口にしなかったかと言うと、砂漠と隣り合わせの生活をしているエジプトでは日常的に砂埃が舞う。想像に難くないが、そのような中で発酵を必要とするビールを製造すれば、砂やホコリ等のゴミが多く混入することになる。要するに、ゴミが浮いている上澄みを飲まないために、ストローを挿して底の方からビールを飲むのである。

話が脱線した。エジプトでは強大な文明が発達した。ヘブライ人たちが集団移住してきた時点で既にエジプトは強大な国であったのだ。ここで想像してみてほしい。エジプトという地域が、周囲を砂漠に囲まれていることは既に述べた。周辺地域との交流が難しいがゆえに、エジプトには独自の文明が発展したわけであるが、この状況は島国のそれに近いものがある。島国は良くも悪くも排他的な風潮が強いと言われるが、当時の古代エジプトも排他的であった可能性が十分に考えられる。そこにヘブライ人たちが集団移住してくるのである。当然、古代エジプト人たちは、ヘブライ人たちを「異物」として捉えるであろう。強大なエジプトはヘブライ人たちを奴隷とした。ここに「ユダヤ人の歴史は、苦難の歴史である」と称されるユダヤ人たちの数千年に渡る苦慮の旅路が始まるのだ。

<ここまで>

皆さん、こんにちは($・・)/~~~

二週間ぶりの若造です(・.・;)
というわけで、今回は長期連載第二回目であったわけですけど…
書いてて楽しいですわ(笑)

しばらくはこの「イスラエル問題」についての長期連載が続きますので、よろしければお付き合いください。

あ、そうそう、ちょっと一言言いたいのですが…

祝アクセス数1万回突破!!!!!

皆さん、よくこのブログを訪問、というか知ってくださいましたという感じですが(笑)、なんだかんだで今月でブログ誕生1周年を迎えます。若造も社会人になって、更新ペースはどうしても落ちてしまいますが、コメントをちょくちょく書いてくださる方もおり、本当に感謝の言葉もありません。

もしも、少しでも記事を読んで何かを感じてくれる人がいれば、それほど嬉しいことはありません。
今後ともよろしくお願いします。

※コメント返しは週末にまとめて行います。スミマセン!!


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