上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
満州国

皆さん、こんにちは($・・)/~~~

いや~、忘年会シーズンです(-。-)y-゜゜゜

「酒は呑んでも、呑まれるな」・・・至言ですな、昨日の若造に言ってやりたい(笑)

さて、今日はリクエストされました、満州国についての記事です。

満州国成立までの歴史は、前にyahoo知恵ノートで書いたことがあったので、こちらをご参照ください
  ↓クリック↓
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n77805

まずはブログに寄せられた質問をご覧ください
  ↓ ↓ ↓
知り合いの90過ぎのおじいちゃんが戦争の話が大好きで 、自分が若い時に赴いた満州について「あれは侵略って言われてるがそうじゃないんだ、五族共和という大きな理念の元に創った素晴らしい国なんだ」と力いっぱい話すんです。私は学生時代に 満州国を建国してそこを足がかりに中国を侵略したとしか習わなかったし、五族共和なんて耳にもしなかったんです。

五族共和ってことは日本以外の周辺国が協力して建国したってことですよね?
それに、学校で満州国を侵略の為に作ったって教えるのはやはり敗戦国ゆえに満州はそういう位置づけになってしまったのですか?



質問者さんのお知り合いに、戦争の話が大好きな90過ぎのおじいさんがいらっしゃるそうです。いや~、一度お話を伺ってみたいですねぇ。

さて、満州国はなぜ建国されたのでしょうか??

関東軍の大陸への進出意欲」と「経済的要因」が大きな理由と言えるでしょう。

当時の満州(中国の北東部)は軍閥闘争に明け暮れる中国政府の支配は及ばず、むしろ北のソ連、門戸開放宣言以来中国権益を望むアメリカの勢力が強くなっておりました。これに関東軍は軍事安全保障上の危機感を感じていたんですね。そして、「世界最終論」を唱える石原莞爾(いしはらかんじ)が満州事変を起こすに至るのですね。

そして、「経済的要因」です。1929年に、世界はあの有名な「暗黒の木曜日」を迎えます。ニューヨークのウォール街で株価が大暴落、その余波を世界中が受けて大恐慌が起きるのです。そう、「世界恐慌」です。

日本も「世界恐慌」の影響を受け、俗に「昭和恐慌」と呼ばれる不景気真っ只中にありました。もちろん、これは日本だけの事情ではなく、他の列強国も不景気に苦しんでいましたが、他の列強国は日本には出来ない方法で不景気から立ち直ろうとします。

それが「ブロック経済圏」を確立するという方法です。ブロック経済圏とは、自国と植民地の市場にて自国の製品を独占的に流通させ、他国の製品は排除するという、言わば「自分だけ助かればいい」的な方法です。イギリスやフランスは多くの植民地を持っていましたし、アメリカはフィリピンに加えて自国内の市場が大きかったため、「ブロック経済圏」を確立出来たのです。(イギリスは「ポンド・ブロック」、フランスは「フラン・ブロック」、アメリカは「ドル・ブロック」と呼ばれる経済圏を確立。)

しかし、日本やドイツ、イタリアはロクに植民地を持っておらず、ブロック経済圏を作れません。それゆえに、取った方法が市場を求めて海外進出する、つまりは侵略という方法だったのです。イタリアはエチオピアに侵攻しましたし、ドイツはナチスの一連の侵略、そして日本は「満州事変」だったわけです。

ここで強調しておきたいのは、「歴史を現代の感覚で捉えるのは間違い」であることです。近年、日本の「満州事変~太平洋戦争までの海外進出」を侵略でないとする論調がネット上に増えている気がします。しかし、満州事変は間違いなく侵略であります。ただ、侵略は当時の「スタンダード」であり、決して極悪非道の行為であると考えられていませんでした。

現代の感覚で捉えれば、そりゃ「悪いこと」なわけですが、歴史上の事象を現代の感覚で考えるべきではありません。そんなこと言ったら、ナポレオンはただの「人殺し」ですし、マルクスはただの「ニート」です。それでも、当時の侵略の責任うんぬん言うのならば、「ブロック経済圏」を作って自分だけ助かろうとした国々の責任はどうなのでしょうか??というか、その「ブロック経済圏」を構成している植民地って侵略で得たのでしょう??

話を戻します。不景気以外にも実は「経済的要因」がありました。それは「人口の増加」です。文明開化以来、人口が増え続けてきた当時の日本(8000万人を突破)はその人口を養うだけの農業地も、産業も国内には不足していたのです。「人口の受け皿」として、満州を欲したのですね。

でも、実は当時の日本政府は「満州進出」には消極的でした。柳条湖事件の責任を取って辞職した田中義一から政権を受け継いだ浜口雄幸は健康上の理由ですぐに辞職し、当時は若槻礼次郎内閣が成立していました。

若槻内閣は「不拡大」方針を取っており、関東軍の満州国建国にも反対しておりましたが、軍部の独断専行と、経済的要因からの国民の支持に押されて、ついには内閣総辞職に至ります。


とまぁ、こんな感じで満州国が建国されたわけです。おじいさんに反対して申し訳ないのですが、やはり満州国は「侵略」によって建国されたものだと思います。しかし、俗に言う「極悪非道な侵略」とは違うのは上記の通り。

そして、「五族協和」という言葉は、「日本人・漢人・蒙古人(モンゴル人)・朝鮮人・満州人が手を取り合って援けあう」という意味で、この理念を掲げて、満州国は建国されました。五族以外にも、満州にはソ連から逃げてきたロシア人やウクライナ人も入り混じり、まさに「人種のるつぼ」だったそうです。

満州国は日本政府により優先的に資本投入が行われ急速に発展し、一発当てて一攫千金を夢見る「満州ドリーム」があったみたいですよ。農地を継げない農家の二男・三男や、貧しかった朝鮮人や漢人なんかが夢見る地だったのです。

とは言え、やはりそこは「傀儡国家」ですから、政治は宗主国の日本が牛耳っていました。このあたりは、確かに「侵略」で建国されたがためですね(^_^;)

今回はここまでです(-。-)y-゜゜゜

次回は「特定秘密保護法案」について書きましょうかね( ..)φ

ではではノシ


スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://kouinosan.blog.fc2.com/tb.php/75-5f038f51
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。