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ヒトラー

皆さん、こんにちは($・・)/~~~

なんか日本海側は大雪が降って大変みたいですね。若造は東京にいるので、年に一、二回程度しか降雪に見舞われません。東京って数センチの積雪でも、電車が止まったり、交通渋滞が起きたりすのですが、新潟や北海道の人からしたら鼻で笑うレベルなのでしょうね(笑)

「朝起きて雪が積もっていたときに、嬉しくなったら子供で、嫌だと思ったら大人である!!」 これって結構核心を突いてませんか?? 近年、降雪に嫌悪感を抱くようになった自分に気付きまして、「年をとったんだな~」とシミジミ思う若造です(^_^;)

まぁ、そんな話は置いておきまして、今回の話題は「ヒトラーの演説」です。

ヒトラーと言えば、第二次世界大戦時のドイツの独裁者。ナチス党を率いて、ユダヤ人の虐殺などの所業を行った悪名高い人物です。

しかし、あまりにも悪名高過ぎて、「悪役」としてのヒトラーは有名でも、「人間」としてのヒトラーがあまり知られていないのもまた事実。仮にもドイツのトップにまで上り詰めただけありまして、秀でていた面も見られます。

ヒトラーの優れていた能力として、最も有名なのが「演説能力」であります。


  ↓演説の日本語訳↓ 
第6回党大会は終わりを迎えた。
党外の何百万ものドイツ人は、この党大会を
政治的権力の荘厳な見世物だと
見なしただけかもしれない。
しかし、この党大会は、何十万もの戦士たちにとっては、
それを遥かに超える意味を持つものであった。
これは、古き戦士及び戦い続ける同志たちの、
偉大な人格的・精神的大会であったのだ。
そしてことによると、この党大会の壮麗さにも関わらず、
諸君の中には国家社会主義者である事が、
困難だった日の事を切なく思い返していた者もいることだろう。
我が党の党員がわずか7人であった時においても、
党は2つの原則をはっきりと示していた。
一つ目は、思想的に明確な世界観を持つ党であるという事。
2つ目は、それ故に、ドイツで唯一の妥協無き権力を求めるという事だ。
党として、我々は少数派に属し続ける必要があった。
なぜなら、国民の闘志と犠牲的精神を、
終結させなければならなかったであり、
それは常に多数はにではなく、少数派に帰するもんであったからだ。
誇り高き自身と共にに、このドイツ国民で最良の人々が、
勇敢かつ明確にドイツの、そして国民の指導的地位を要求した。
そして一般国民はこの指導的地位に参加し、
彼ら自身それを従属させたのである。
ドイツ国民は、過去変わり続ける政治指導者が
今や国家を導く不変の柱によって取って代わられた
という事を知った幸福の中にいる。
我々は自らを最良の血統の代表だと見なしている。
そして我々は国家の指導的地位を保持し、
決して手放さないと決心したのだ。
一部のみではあるが、戦士たちの戦いは続いている。
彼らは他の国民よりも多くのことを求められている。
彼らにとっては単純に「私を信じる」というのでは不十分である。
むしろ、こう誓うべきなのだ。「私は戦う」と!
党は常にドイツ国民の政治的指導者であり続ける。
それは、その主義において不変のままであり、
その組織において鋼鉄の如く堅固なままであり、
その戦術において柔軟かつ順応性に富むままである。
しかし、その存在において、それは聖職と同様なものであるのだ。
我々の目標は、その忠実なドイツ人が国家社会主義者となる事でなければならない。
だが、「最良の」国家社会主義者は、党員諸君のみである!
かつて、我々の敵対者は我らに迫害を加え、
結果として我々の望まない要素を我が党から取り除いた。
そして現在、我々は自身をさらに詳しく調べ上げ、
望まない悪しきものを取り除かなければならないのであり、
悪しきものの居場所は我々の中には無いのだ!
この国家とこの帝國が、今後何千年にもわたって存続し続ける事は、
願いであり意思であ る。
我々は幸運にも、この未来が完全に我々のものだと知る事ができるのだ。
もはや古き世代が進めなくなった時には、
若者が全身全霊を捧げて進んでいくのだ!
党は、全員の力を総動員し、国家社会主義の理想の最高の具現者となり、
そしてその時、党はドイツ国民とドイツ帝国にとっての
永遠で不滅の支柱となる!
さらに、我等の栄光ある国軍、国家の伝統的で誇り高き戦士は、
同様に伝統的な政治指導 者である党と結合する。
党と国軍の両者は、共にドイツ国民を教育し、強固にする。
そして彼らはその双肩にドイツを背負って立つのだ!
今この時にも既に何万もの党員がこの都市を離れつつある。
※この都市=ニュンベンベル グ
ある者は自らの思い出に浸っている事だろう。
またある者は次回の召集に備えている事だろう。
何度でも人々は集い、そして去ってゆく。
そして彼らは新たに統制され、鼓舞され、奮起する。
なぜなら、この思想はこの運動は我が国民の強烈な自己表現であり、
永遠の象徴であるの だから!
国家社会主義運動万歳!
ドイツ万歳!

引用元:http://ameblo.jp/ghostripon/entry-10268096572.html


上に貼った映像は、第6回ナチス全国党大会の記録映画として有名な「意志の勝利」の演説シーンです。まぁ、もちろんプロパガンダとして利用された映画でもあります。でも、どうですか?? 正直、私はドイツ語まったく分からないのですけども、なんとなく聞いてしまう魅力を感じます。

ヒトラーが壇上に上がるのを、聴衆は盛大な拍手で迎え入れます。ですが、ヒトラーはなかなか話し始めません。聴衆の拍手が止み、自分に意識が集中するのをジッと待っているのです。

聴衆が演説の始まりを今か今かと待っているときに、ヒトラーはようやく口を開きます。その口調は優しく語りかけるように穏やかです。しかし、演説が進むにつれて、徐々にヒートアップしていき、やがては大ぶりの身振り手振りを交えて情熱的に聴衆に訴えかける演説を行うのです。

ヒトラーの演説は、その内容にも大きな特徴があります。それは、具体的なことはほとんど言わないのです。日本語訳を読んでみてください。民族の誇りを訴えかけるばかりで、具体的な政策や方針には触れていません。これは、具体的なことを言い、些細な点でも聴衆の考えとずれていたときに、聴衆が離れて行ってしまうことを恐れるがゆえです。

そして、ヒトラーの政治的な演説は主に一般大衆に向けて行われました。一般大衆には、子供から年寄りまで、金持ちから貧乏人まで、学のある人から無教養な人まで様々な人がいるので、「誰にでも理解できる内容の演説」を心がけていたそうです。そのポイントとは、「スローガン」、「二者択一」です。

スローガンとは、自分の政策を短くまとめた言葉のことです。ヒトラーの場合は「職とパンを!」ですとか、「外国からのドイツ解放!」とかです。これらのスローガンは、聞く人にとって実に分かりやすく、かつ「あいまいに」内容を伝えられるのです。内容があいまいなのが良いのは上記の通り。日本の歴代首相たちもたびたびスローガンを用いてましたね。佐藤栄作の「国民所得倍増計画」ですとか、田中角栄の「日本改造論」ですとか、小泉純一郎の「聖域なき構造改革」とか。このスローガンを何度も何度も、聴衆たちの印象に残るように繰り返し演説するのです。

二者択一とは、「自分か、政敵か!?」の対立構造を示すことです。ヒトラーは当時のワイマール政府や、ユダヤ人資本家、あるいは外国勢力を取り上げまして、これらのことを徹底的に叩きます。そして、自分と政敵のどちらを取るのかを聴衆に迫るのです。いわゆる「敵」を作り上げる手法は、たびたび日本でも見られまして、今でいえば「中国」、少し前の民主党政権時代は「官僚」でしたね(^_^;)

ヒトラーの演説は、その舞台もよく考えられたものでした。例えば、演説の時間帯です。ヒトラーの演説の多くは夕暮れ時に行われました。その理由は、「夕暮れ時と言うのは、人々が日々の生活によって最も疲れている時間帯」でありまして、この時間帯に情熱的な演説をすることによって、疲れた頭の聴衆たちを一種の催眠状態に誘導することが出来たそうです。

音響効果まで利用されており、ヒトラーが演説する前まで重層低音(人間の耳では聞こえないが、なんとなく不快な気分にさせる音)をスピーカーで流し、いざヒトラーの演説が始まったら、その重層低音を止めることによって、ヒトラーの存在を心地良いものに錯覚させることまでしていたそうです。

このヒトラーの演説は、政治家をはじめとした多くの人物が参考にしています。我々、聴衆側として教訓となるのは、「演説の本質を見抜かなければならない」ということですね。耳触りのよい言葉、あるいは聞きかじりの言葉を鵜呑みにしていたら、痛い目に遭うということを歴史は教えてくれます(-。-)y-゜゜゜
ヒトラー最後の12日間
ちなみに、「ヒトラー 最後の12日間」という名作映画がありますので、お暇がある方は見てみるのも面白いと思いますよ。

今回はこのへんで($・・)/~~~

ではではノシ
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