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整形

皆さん、こんにちは($・・)/~~~

取り急ぎではありますが、記事を投稿いたします( ^^) _旦~~
リクエストしていただいた「ウクライナ」についての記事は次の記事で書かせていただきます。

なんで急いでいるかと言いますと、若造は今日から海外に一週間旅立ってしまうのですよ(^v^)
またかよ!? またなんです、最後の学生期間ですからね(笑)

今回は整形手術の是非について考えてみたいと思います。

皆さんは「整形手術」にどういう意見をお持ちでしょうか??
ポジティブな意見も、ネガティブな意見もあると思います。

ポジティブな意見としては・・・
「自分の顔なんだから好きにすればいい」「綺麗になれば自信がつく」「今は整形ぐらい普通だ」などなどがあるでしょう。

ネガティブな意見としては・・・
「親にもらった顔にキズをつけるなんて」「人間は顔じゃない」「個性を大事にすべきだ」なんかがあると思います。

正直なところ、「個人としての整形」に対する若造自身の考えでは「整形??したければすればいいんじゃないの??」であります。しかし、「社会」を考えると、そう前向きにとらえるのはどうかなと考えたりするのです。

「整形が普通になった社会」を想像してみます。

なぜ整形する人が「整形したい」と思うかと言えば、やはり「美人・イケメン」になりたいからでしょう。なぜ「美人・イケメン」になりたいのかと言うと、人にちやほやされたいからでしょう。

「人間は顔じゃない!!」と良く聞きますが、これは間違いだと若造は思っていまして、正しくは「人間は顔だけじゃない」だと考えています。確かに容貌が優れていなくても、その他の要素が優れている素晴らしい人はたくさんいます。しかし、他人がその人が優れていると知るには一定以上の親密さがあるからなのです。

もしも、通りすがりの人が「イケメンの連続殺人犯」と「ブサイクな慈善事業家」とすれ違ったとしたら、彼の眼には「イケメン」と「ブサイク」という要素しか映りません。

外見が人間の一定の要素を占めることは間違いないでしょう。だからこそ、人々は必死になって自分を着飾るわけです。では、「美容整形手術」もそれらの外見を良くする手段の一つですから、化粧なんかと同じように考えるべきなのでしょうか??

整形と化粧の最大の違いは、言わずもがな「根本を変えるかどうか」です。化粧は洗えば落ちますが、整形は一度変えたら二度と元には戻りません。自分自身の生まれ持った「自分」を捨て去るのです。

もしも、人々が当たり前のように整形をするようになったら、必ず起こるであろうと予想できるのは、「容貌が劣った人への強い風当たり」です。

良いですか、今の社会では女性が化粧をするのを推奨しています。はっきりと社会が公言しているわけではありませんが、実際としてはそうです。元々が美人ならいざ知らず、あまり美人でない人がすっぴんで生活するのは、あまり快く思われません。男性も同様です。社会的地位に応じたブランドを身につけ、ピシッとしたスーツを着ることを毎日義務付けられます。

そもそも、「化粧・ファッション」というものは個人の自由であり、本来は他人に迷惑をかけるものではありません。しかし、「ふさわしくない」という実に曖昧な概念によってそれらは人々に義務として押しつけられるのです。


このこと自体は人間が社会的動物であることから、仕方のない自然現象であり、旧共産圏なみの統制を布かねば変えることができません。

このことを踏まえて、「整形が身だしなみになった」社会がどんな社会化かといえば、ブサイク・ブスに対して、「なんで整形してこないんだ!?社会人にふさわしい顔というものがあるだろう!?」と言われるような社会です。もちろん、はっきりとは言わないでしょう。しかし、就職面接で「顔が劣った人」は合格できなかったり、「顔が劣った人」はプレゼンなどの発表でも聴衆に一歩引かれるのです。

この記事で若造が申し上げているのは極論です。全てがそのまま当てはまるわけではありませんが、まったくの間違いであるとも言えないでしょう。

若造は「そんな社会やだなぁ・・・」と劣った容姿で思うのです(笑)

今回はこのへんで($・・)/~~~

ではではノシ

※若造は今夜から一週間海外に飛び立ってしまうので、その間の更新は停止させていただきます。たびたびで申し訳ない
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